陰陽道

陰陽道の起源は、紀元前二千年の古代中国にまでさかのぼります。
古代中国から朝鮮半島に伝わり、いまから千六百年前に日本にもたらされました。
日々刻々と移り変わる自然の脅威にさらされていた当時の人々にとって、その変化を予測することは最大の関心事でした。
自然界のあらゆるものを「陰」と「陽」に分けて考える「陰陽思想」と自然界は「木・火・土・金・水」の五つの要素で成り立っていると考える「五行思想」が統合されました。
仏教が伝来した飛鳥時代には「陰陽五行説」にも関心が集まり、国の進むべき指針や自然を読み解き、占う方法として政治への影響力を持ち始めます。
また、易学や歴道、天文道などは当時最新の科学技術として受け入れられました。
奈良、平安時代にかけて大きな影響力を持ち、陰陽道は天皇や公卿、貴族の日常のすべてを支配するようになりました。

安倍晴明公

安倍晴明公(921~1005)は延喜21年に中級貴族の子として生まれました。幼い頃から多くの道に秀でて、特に天文暦学の道を極め、天文陰陽博士として活躍しました。
賀茂氏から天文学、呪術などを学び、天体を移り行く星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てました。
朝廷内では「歴道の賀茂家」と「天文道の安倍家」の二家が陰陽寮を支配し、多くの権力者の信頼を得て数々の功績をたてました。
日本独特の陰陽道を確立し、今日の日常生活の基準となる年中行事や暦術、占法は晴明公によるものです。
寛弘2年9月26日、84歳でこの世を去りますが、陰陽道の祖としていまなお多くの尊敬を集めています。
子孫は代々天文歴学、陰陽学を伝承し、陰陽道の秘伝書『金烏玉兎集』『占事略決』を著したと伝えられています。
また、「式神を操り災厄を祓った」「母親が稲荷の狐の化身だった」と伝えられるなど、多くの点において謎めいた人物であり様々な逸話が残されています。

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