御由緒

由緒

平安時代中期、一条天皇の長保年間(999~1003)にご創建されました。今から一千年以上前、陰陽師として名高い安倍晴明公によって熊野大神が勧請されました。安倍晴明公ゆかりの神社として都内唯一、さらに葛飾区内で最も古い神社です。
平安時代最も有名な陰陽師 安倍晴明公は、当時最先端の呪術や科学であった天文道や占いなどの陰陽道に関して卓越した知識を持っていました。
華山上皇が那智山中で修行を行っている際、天狗が現れて様々な妨害を繰り返しました。
そこで晴明公は、岩屋に大勢の天狗を封じ込める祈祷をしたところ、天狗たちの妨害は見事に収まり、上皇の修行は無事に終えられました。
上皇の信頼を得た晴明公は、陰陽師として名声を極めました。
そして晴明公は華山上皇に伴い、那智熊野の地に於いて、三年間の滝行と山籠りの行を上皇と共に行いました。
その後清浄なる聖地を求める旅の旅中、たまたま当地に立ち寄り、この地を選定したと伝えられています。

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熊野神社略年譜

都内では唯一、安倍晴明公が勧請したお社です。徳川家の篤い崇敬を賜り、徳川三代将軍 家光、八代将軍 吉宗が鷹狩りに訪れた際には必ず参拝し、当社より金烏護符を献上しました。
長保年間999~1003安倍晴明公により、境内を三十間五角とし、五方山熊野神社と号し勧請
寛弘2年1005安倍晴明公没す
応永5年1398「下総国葛飾御厨注文」に立石の名
元和9年1623徳川三代将軍家光が鷹狩の歳必ず当社を参拝し、金鳥護符授与す
享保元年1716徳川八代将軍吉宗が鷹狩の歳必ず当社を参拝し、金鳥護符授与す
安永5年1776菅原道真公の木彫像を奉納される
天明6年1786神明造の社殿大洪水により大破
寛政年間1789~御三郷の一つ田安家からの祟敬篤く再三当社に参拝し、金鳥護符授与
寛政6年1794社殿再建
寛政8年1796幕府の命によりご神体石棒の安全確保のため、石造の内々陣造営
文化2年1805立石の石に稲荷大神を勧請し、立石稲荷と称し石祠奉建
安政2年1855江戸大地震により石造内々陣など損傷
安政5年1858江戸大地震による損傷箇所大修復
安政6年1859水神社石祠建立
明治5年1872村社に定められる
明治12年1879現在の本殿造営
明治19年1886ご神体の石棒、人類学会で紹介
明治40年1907神饌幣帛料供進神社に指定
大正10年1921幣殿拝殿造営
大正14年1925大正天皇両陛下 銀婚式記念に公孫樹植樹
昭和24年1949都内初 神社付属幼稚園「熊野幼稚園」創立認可
昭和36年1961幣殿・拝殿改築造営
昭和42年1967熊野神社氏子青年会誕生
昭和55年1980本殿大修復行われ、遷座祭斎行
昭和61年1986亀戸天神社より御分霊を頂き、菅原道真公の木彫像奉安する天神社造営
平成19年2007創建1000年を記念し、神門・神楽殿造営
平成20年2008金鳥御守護、約300年ぶりに復活
平成21年2009高さ日本一銅造五重塔建立
平成27年2015参集殿・大鳥居造営

ご祭神

主祭神としてお祀りしている伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)は、伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)とご結婚され、
天照大御神をはじめ日本の国土・自然・穀物など多くの神々をお生みになり、家内安全・縁結びのご神徳をお持ちの尊い神さまです。
相殿神としてお祀りしている二柱の大神さまは、伊邪那岐大神の御子であり、病を遠ざけ健康をもたらす祓いの神さまで、厄除け・病気平癒のご神徳をお持ちです。

熊野信仰

熊野三山への信仰的熱望は「熊野御幸」となって現れ、延喜七年(907)の宇多上皇の本宮参詣に始まり、院政期から鎌倉初期に頂点を迎え、後白河上皇の三十三回、後鳥羽上皇の二十八回をはじめ多くの上皇が参詣されました。
皇族をはじめ武士・庶民の間にも熊野詣が盛んになり「一生に一度は熊野詣をするもの」との信仰も深まり「蟻の熊野詣」と称され、たいへんな流行でした。
三社の神々を感情した熊野神社は、関東・東北・九州地方に多く鎮座され、現在全国に約三千社、東京では七十社を数えます。

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境内のご案内

葛飾の東側に位置する当社は、近くを流れる中川の中洲に鎮座します。そのため当社付近一帯は、ずいぶんと水害に悩まされてきました。そこで安倍晴明公が陰陽道の陰陽五行説(木火土金水)に基づき、三十間五角(一辺が約55mの正五角形)という非常に珍しい形状の境内地に結界を張り巡らせお守りし、五方山 熊野神社と古くから呼ばれてきました。ご鎮座一千年記念事業として献灯提灯台、掲示板の機能を備えた神門と神楽殿、世界平和と人類の幸せを祈念し、銅造りのものでは日本一の高さ(地上より7m)の五重塔を建設しました。

ご神木

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ご社殿両脇にある楠のご神木は、樹齢三百五十年の葛飾区登録天然記念物に指定されています。二本のご神木はちょうど同じ高さを有し、青々と緑豊かに立ち誇りご社殿を中心に寄り添うご神木は中睦まじい夫婦を連想させ「夫婦楠」と呼ばれています。

ご神紋

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八咫烏は三本足の大きな鳥で、神武天皇に関する『古事記』『日本書紀』にある鳥です。神武天皇が東征の際、熊野から大和へ入る山中で道に迷った時に天照大御神が夢に現れ、八咫烏が先導するようにいわれました。神武天皇は八咫烏を囲む正五角形は、当社を勧請した安倍晴明公の陰陽五行説にしたがって境内がかたどられ、今日に伝えられていることを意味します。

ご神体

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当社一帯には、古墳群をはじめ霊石として有名な立石(立石の地の由来)がありました。立石地区は、古代石を中心とした文化の町として栄えました。当社ご神体は「神代の石剣」(一説には立石の地名の由来とされる)です。石の剣は、関東地方では極めて珍しいものとされています。以来「熊野神社の神代の石剣」として全国的に有名になり、江戸市中をはじめ多くの崇敬を集め、連日参詣人が群れを成したといわれます。石剣は、二尺四寸(長さ約70cm)あり信仰の的でした。

アクセス


〒124-0012
東京都葛飾区立石8丁目44−31
(TEL) 03-3693-5623
(FAX) 03-3693-0070

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